東京都美術館へ開門前に着く。
人気のマティス展、入れるかどうか。
平日だったからか、すんなりと当日券が手に入った。
さほどの混雑もなく、ゆっくりと鑑賞。
弾けるような色彩に心が躍る。
晩年、病を得て身体も万全でない中、出来うる方法で制作を続けた。
切り絵や教会デザイン。
楽しさにあふれていて、加齢に対するアプローチを教えられた気がする。
東京都美術館へ開門前に着く。
人気のマティス展、入れるかどうか。
平日だったからか、すんなりと当日券が手に入った。
さほどの混雑もなく、ゆっくりと鑑賞。
弾けるような色彩に心が躍る。
晩年、病を得て身体も万全でない中、出来うる方法で制作を続けた。
切り絵や教会デザイン。
楽しさにあふれていて、加齢に対するアプローチを教えられた気がする。
ギャラリー富小路も始めて伺った。
ジャパニーズモダンな町家で、靴を脱いであがる。
慎ましく静かな フィリップ・ブラムさんの作品。
たぶん、いらっしゃった方が作家さんだと思うが、作品と同じように静かにしておられる。
話しかけないでオーラが。
壮大であったり、強いインパクトのあるものでなく、こんな作品を前にすると、心安らぐ。
嶋臺(しまだい)ギャラリーでは、ロジャー.エーベンヘルト展を見た。
スイスでは、風景を印刷したコーヒーフレッシュの蓋をコレクションする伝統があるという。
その蓋を接写し、再解釈している。
ユニークなアプローチが、見たことのない世界へと連れて行く。
京都文化博物館では、マベル ポブレットの「WHERE OCEANS MEET」
水と海をテーマに制作した彼女は、キューバの新進気鋭のアーティスト。
写真を解体して折り紙を重ねて再構築したり、ミクストメディアなど、様々な手法での制作を行う。
彼女自身の映像も含めて、キラキラした会場であった。
美しさと才能を兼ね備えたアーティストが眩しい。
二条城二の丸御殿。
衣服や人体を通じて(人の存在)を撮り続けている彼女の、新旧作品が並ぶ。
民族衣服と現代ファッション。
圧倒的な迫力でそこにあった。
以前から好きで写真集を眺めていた時を超えて、この時を迎えた感慨がある。
(ギャラリー八角)では、寫眞館GELATIN個展「凄凄切切」を見た。
凄凄切切とは(極めて物寂しいさま)
この作家さんは、それこそが写真を撮りたいという衝動に駆られるのだという。
モノクロフィルムであること、そして写し撮った対象。
それらが私の趣味に重なって、話しかけずにはいられなかった。
(GALLERY35)は、釜座通の路地にある。
こちらも初めて訪れたが、最近はこのようなギャラリーが増えているのか。
こちらでは「メンス.エト.マヌスー手と心」と題して、4人の女性アーティストの展示。
どれも写真そのままではなく、その上に手を加えた作品が並ぶ。
在廊されていた作家さんの作品は「縫う 祈る 縫う」
ミャンマーへの旅をキャンセルした時、それまで撮影したプリントに金の糸で縫う作業を始めたという。
縫うという行為は、ミャンマーの平和を祈る深い時間となった。
初めて訪れた(Galley G 77)は、こんな所にという洛中の路地にあった。
アンナ.ハヤト、スラヴァ.ピルスキーの「裂け目、繋ぎ目、そして裂け目」
ロシア出身の二人は、イスラエル在住だが、この度のウクライナ情勢で心を痛めている。
布にプリントされた写真を断片化、手縫いのステッチ、刺繍で傷ついた身体の痛みを表現。
日本の金継ぎからもインスピレーションを得ているという。
スタッフかオーナーさんかは定かでないが、外国の方。
作品の解説やコロナでのギャラリー運営の厳しさなど、色々なお話をして下さった。
さて、国際写真祭である。
作品はもちろん、作家やギャラリーの人たちとの出会い。
あまりにも多くの刺激にクラクラして、未だに整理しきれない。
建仁寺.両足院では、コートジボワールを拠点とするアーティスト、ジョアナ シュマリの展示。
今年の写真祭のテーマ「BORDER」にインスピレーションを得たという、
写真に刺繍を施した作品は斬新だ。
アフリカの文化を、美しく表現している。