シンスケ

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さて、今回楽しみにしていた「シンスケ」へと向かう。
湯島天神すぐ、大正14年創業の名酒場として知られている。
居酒屋で初めてミシュランとか。

中は撮影禁止で残念だ。
白木の一枚板のカウンターが奥まで伸び、後ろの窓際に横並び席があるのが特徴的。
カウンター前には、お酒、グラスやお銚子が空間を残して整然と並んでいる。
とにかく、スッキリ、スカッと、粋なのだ。

日本酒は秋田の両関のみ。
熱燗から温燗、常温。
珍しいのが、蓋のある木の桶の中で管理している冷。
好みの温度をオーダーできる?
正に、お燗番をしているのだ。

マグロのぬた。厚揚げと野菜の炊き合わせ。

切り干し大根の胡麻酢あえ。
揚げと切り干し大根のような田舎っぽいイメージとは全く別物。

どれも、繊細で上品。

狐ラクレットは、揚げの中にチーズ。
甘味が添えてあり、何かとご主人に尋ねたら、杏子ジャムだそう。

それまで、カウンターで黙々と距離を取って接客されていたが、ここからラクレットについて、滔々とお話しされる。
納豆揚げから、常連のスイス人の発案で生まれたメニューだそう。
決まったお豆腐屋さんの揚げ、こだわりのチーズと杏子ジャム。

ご主人は、実はおしゃべりな方みたい。

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湯島天神へ

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金曜日から東京へ行ってきた。
ホテルから湯島天神へ。
この辺りは、落ち着いた趣である。

勾配の緩い女坂とキツイ男坂がある。
行きは女坂、帰りは男坂を通った。

こういうところが、東京だなと思う。

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京都思想逍遥(しょうよう)

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小倉紀蔵さんの「京都思想逍遥」を読んだ。
筆者は京大大学院教授で、2018年、(総合人間学部、大学院人間.環境学研究科)で京都を逍遥した授業のテキストをもとにしている。

逍遥は中国文献を由来とし、外物にとらわれず、自適な生活を楽しむ。
あちこちをぶらぶら歩く、そぞろ歩き、散歩などの意味がある。

しかし、この授業のテーマは、「悲哀する京都」
「歩きながら、京都の悲哀を追体験し、思索すること」
悲しい顔をしながら修行僧よろしく黙々と歩く学生達の列は、異様だったかもしれないと言う。

地霊ー時を経ても消えない土地の蓄積、歴史が、気の遠くなる程重なり合う京都。
歩いていて感じる気のようなもの。
その正体のヒントが、この本にはある。

ゆかりの人々の足跡を紐解きながら、実際に歩いて思索する。
知る場所だけに、その一つ一つが近く深く理解できた。

和辻哲郎、西田幾太郎、中原中也、三島由紀夫、川端康成、森鴎外、道元、若冲。
後白河法王、世阿弥、清少納言、紀貫之.,,.。
などなど。

逍遥することで、彼らの(たましひ)ー諸行無常の悲哀に思いを巡らせる。
権力者の京都ではない深い京都が見えてくる。

中でも、なるほどと思ったくだり。
メディアは、杉本家が京都風な(みやび)な生活の体現者のごとく社会に打ち出している。
江戸時代から続いているだけの商家を、あたかも京都文化の中心であるかのように語るのはどうか。

洛中が京都の中心ー祇園祭が京都文化の王道。
御所さえも京都ではないかのようだ。

井上章一の「京都ぎらい」で、彼の出身地である嵯峨を「あそこは京都やない」とばかにされた話は共感を持って受け入れられた。
京都を天皇や貴族から奪い取り、洛中以外を序列外に排除したのだ。
しかし、その「京都ぎらい」でも書かれていない事が多すぎるという。

蔑視された人々はさらに下層な人々を蔑視するという序列の構造が京都なのだ。
それは、洛中内であっても。
路ひとつはさんで、序列が異なる世界がありうる。

近代以降の京都に、ひとりの永井荷風、谷崎潤一郎も出ななかった。
江戸への偏執狂的愛着と、東京への愛憎。
それを芸術に昇華させた人物が、なぜ京都には出なかったのか。

明治維新を機に、みやびな公家たちが東京に移ったことが原因ではないか。
そして、長州や薩摩が「京都復興」という名のもとに京都を破壊した。
その無思想の破壊を、復興と勘違いして、京都人自身が歓迎してしまった。
というのだが。

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うぞうすい

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うぞうすいの方は、先付が出てくる。
そして、うなべ。
鰻の筒切りと焼葱、庄内麩、生姜、春雨の鍋である。
梯子状の鍋敷に乗った鍋の迫力に、ちょっとしたサプライズ。

鰻の下処理がきちんとされているので、筒状でも食べやすい。
それが済めば、うぞうすいだ。
後、デザートも。

これで一人前!と思う程のボリューム。
二人で分けたから良かったが、やはり一人で来なくて正解だったと改めて思う。

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わらじや

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博物館に行く度、前を通り気になっていたのが「わらじや」
(うぞうすい)とあるので、はて?冬の食べ物ではないか?
それに敷居が高そうで、入ったことがなかった。

しかし、表の品書きにまむし(鰻)とあり、がぜん前のめりに。
よし、中へ。

二人連れだったので、まむしとうぞうすいを注文した。
最初にお抹茶とお菓子が出てきた。

旅籠として創業し、三百六、七十年。
秀吉がここでわらじを脱いだとの由来で「わらじや」との名がついたとか。

今年、初の鰻。
ふっくらして、美味しい。

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国宝 一遍聖絵と時宗の名宝

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先日、京都国立博物館で「国宝 一遍聖絵と時宗(じしゅう)の名宝」を見た。
踊り念仏で知られる時宗は、宗祖一遍が鎌倉時代に開いた宗派である。

全国を遍歴した一遍の生涯を描いた国宝「一遍聖絵」12巻全巻の公開は貴重である。
又、新発見の秘仏も特別に出品されている。

すべてを捨てて、みな踊れ!
と、各地を行脚した一遍さん。
そこには当然大変なこともあるのだろうが、なんだか楽しげ。
日頃の憂さを忘れて、一時トランス状態になれたのではないか。

以前、壬生寺で見た「壬生六斎念仏」
これは、踊り念仏の流れを継承するという。
踊り念仏が優雅に洗練されている印象だったが、人々の願いや祈りの情景が想像できたことを思い出した。

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金氏徹平/S.F.(Splash Factory)

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京都新聞ビル 印刷工場では、金平徹平の展示。
現代美術家、彫刻家である彼と音響、映像のアーティストがコラボ。

京都新聞の旧工場跡と新工場で撮影した写真、映像、録音が渾然一体となった巨大なインスタレーション。

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ヴェロニカ.ゲンシツカ

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嶋臺ギャラリーでは「ヴェロニカ.ゲンシツカ/What a Wonderful World」

ポーランドの新進作家の展示は、入ってすぐに意表を突かれる。
ウィッグのモップ!

1950〜60年のアメリカの写真を用いたモンタージュ作品シリーズ。
ビンテージ家具を配した展示空間に、ひねったユーモアを纏う写真。

単純な楽しさではない、内なる皮肉も見える。

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アルバート.ワトソン/Wild

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京都文化博物館では「アルバート.ワトソン/Wild」を見た。
VOGUEなどの表紙を飾るポートレートの巨匠であるワトソン。

著名人のポートレートばかりなのかと思っていたら、風景写真も並んでいて以外だった。
とりわけ、カラーの風景がなんとも不思議な妖しさ。

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建仁寺で

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今月、京都国際写真祭で行った建仁寺(両足院)
アルフレート.エールハント/自然の形態美ーバウハウス100周年記念展。

彼はバウハウスに学んだドイツの前衛写真家。
1940〜60年に撮影された作品の展示である。
モダンで静謐な作品と、この場所の澄んだ空気の心地良さ。

観光客の行き交う祇園の騒がしさが嘘のよう。
ここに来ると、いつもホッとした気分になれる。

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