京都思想逍遥(しょうよう)

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小倉紀蔵さんの「京都思想逍遥」を読んだ。
筆者は京大大学院教授で、2018年、(総合人間学部、大学院人間.環境学研究科)で京都を逍遥した授業のテキストをもとにしている。

逍遥は中国文献を由来とし、外物にとらわれず、自適な生活を楽しむ。
あちこちをぶらぶら歩く、そぞろ歩き、散歩などの意味がある。

しかし、この授業のテーマは、「悲哀する京都」
「歩きながら、京都の悲哀を追体験し、思索すること」
悲しい顔をしながら修行僧よろしく黙々と歩く学生達の列は、異様だったかもしれないと言う。

地霊ー時を経ても消えない土地の蓄積、歴史が、気の遠くなる程重なり合う京都。
歩いていて感じる気のようなもの。
その正体のヒントが、この本にはある。

ゆかりの人々の足跡を紐解きながら、実際に歩いて思索する。
知る場所だけに、その一つ一つが近く深く理解できた。

和辻哲郎、西田幾太郎、中原中也、三島由紀夫、川端康成、森鴎外、道元、若冲。
後白河法王、世阿弥、清少納言、紀貫之.,,.。
などなど。

逍遥することで、彼らの(たましひ)ー諸行無常の悲哀に思いを巡らせる。
権力者の京都ではない深い京都が見えてくる。

中でも、なるほどと思ったくだり。
メディアは、杉本家が京都風な(みやび)な生活の体現者のごとく社会に打ち出している。
江戸時代から続いているだけの商家を、あたかも京都文化の中心であるかのように語るのはどうか。

洛中が京都の中心ー祇園祭が京都文化の王道。
御所さえも京都ではないかのようだ。

井上章一の「京都ぎらい」で、彼の出身地である嵯峨を「あそこは京都やない」とばかにされた話は共感を持って受け入れられた。
京都を天皇や貴族から奪い取り、洛中以外を序列外に排除したのだ。
しかし、その「京都ぎらい」でも書かれていない事が多すぎるという。

蔑視された人々はさらに下層な人々を蔑視するという序列の構造が京都なのだ。
それは、洛中内であっても。
路ひとつはさんで、序列が異なる世界がありうる。

近代以降の京都に、ひとりの永井荷風、谷崎潤一郎も出ななかった。
江戸への偏執狂的愛着と、東京への愛憎。
それを芸術に昇華させた人物が、なぜ京都には出なかったのか。

明治維新を機に、みやびな公家たちが東京に移ったことが原因ではないか。
そして、長州や薩摩が「京都復興」という名のもとに京都を破壊した。
その無思想の破壊を、復興と勘違いして、京都人自身が歓迎してしまった。
というのだが。

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