昨日、兵庫県立美術館で「大エルミタージュ美術館展」を見て来た。
今回は、オールドマスター(昔日の巨匠)ー[西洋美術史上で確固たる評価を得た作家のこと]の絵画85点。
ルネサンス、バロック。ロココと続く正統派の美術史を辿るような企画である。
展覧会に行く楽しみは、新しい発見。
今回も、大作家の見たことのない作品や、未知だった作家を知ることが出来た。
昨日、兵庫県立美術館で「大エルミタージュ美術館展」を見て来た。
今回は、オールドマスター(昔日の巨匠)ー[西洋美術史上で確固たる評価を得た作家のこと]の絵画85点。
ルネサンス、バロック。ロココと続く正統派の美術史を辿るような企画である。
展覧会に行く楽しみは、新しい発見。
今回も、大作家の見たことのない作品や、未知だった作家を知ることが出来た。
その日は、浅草の雷門からすぐのホテルに宿泊。
夕方から町に繰り出し、飲み屋さんをハシゴ。
煮込みやポテサラが美味しく、女将さんや娘さんお二人が暖かく、人情味溢れるお店。
江戸っ子らしいべらんめえ調の御主人との掛け合いが楽しいおでん屋さん。
「しらたきを下さい」と言ったら「なんだ!そりゃ!そんなもんない!
こっちでは糸こんにゃくってんだ!」
最後には、お馴染みの神谷バー。
結局、4軒廻った。
浅草も深いとつくづく思う。
箱根から移動し、東京都庭園美術館へ。
「装飾は流転する」展を見る。
国籍、年齢、ジャンルも違う7組のアーティストたちが、装飾という切り口で表現する展示。
ごてごてしたデコラティブな作品には辟易するところがあり、苦手である。
一方、美しいレース編みの地球儀や世界地図の作品。
ゴシック建築が渦巻き状になったものなど、驚きがありながら繊細さが感じられて好きだった。
ホテルのバーは、ボトル棚も社寺造りである。
棚が開いている時には、ボトルが富士山を模して並べてある!
木製オーディオも珍しい。
又、トイレのタイルのデザインも洒落ている。
欄間や柱の彫刻など、とにかく細かいところに遊びがあり、ホテルの中だけで飽きることがない。
箱根宮ノ下で明治11年創業した富士屋ホテル。
社寺建築を思わせる本館を始め、西洋館、花御殿、食堂棟、菊華荘(旧宮ノ下御用邸)は、登録有形文化財近代化遺産。
庭園や建築、ゆっくり見物していると、興味がつきない。
チャップリンやヘレンケラー、オノヨーコとジョンレノンなどが訪れたことでも知られる。
先日の新聞「折々のことば」
は「パリのすてきなおじさん」からのことば。
ちょうど私も読んでいたところだったから、嬉しく思った。
このおじさんの話を聞いたらおもしろそうという勘が、経験を積む程に磨かれ「選おじさん眼」を持つに至ったという金井真紀さん。
パリ在住40年のジャーナリスト広岡祐児氏。
この2人がパリの街を歩きまわり、おじさんを探した本。
肌の色も、宗教も、職業も色々。
ルーツも、カリブ海、アフリカ、スリランカ、アラブ、アジア….。
それがパリ。
広岡氏は書く。
「そうだよ、パリってこうだよ!」と叫びたくなった。
だが、これは、パリの旅日記ではない。
パリはあくまでも手段に過ぎない。
この旅は、人間というもの、生きるということの断片を集める旅だった。
百聞先生の「阿房列車」の第ニ、第三の文庫を見つけた。
相変わらず面白い!
ニンマリすること数知れず。
時には大笑いしてしまう程。
第三には、なんとグレゴリ青山さんの「阿房漫画」のおまけが!
彼女も先生のファンなんですね。
真一文字の口元にステッキ。
「ふん、写真なぞ撮りおって」と言わんばかりの表情の表紙。
実際、お共のヒマラヤ山系氏がカメラを持ち出し、隙あらばと先生を撮ろうとすると、とたん機嫌が悪くなる場面が出でくる。
「汽車が走ったから遠くまで行き著き、又こっちへ走ったから、それに乗っていた私が帰って来ただけの事で、面白い話の種なんかない」
ただ列車に乗るだけのための旅。
それって、究極の贅沢かも。
第三では、途中、病いを得て「なまけるには体力が必要である」という。
観光もあまり乗り気でなく、旅館であれこれ世話を焼かれるのもうっとうしい。
とにかく、ぼーっとしていたい。
これが先生の旅、なまけることの喜びなのであろうか。
第ニの解説で、平田オリザ氏は書く。
「この手の紀行文には珍しく、風流を振りかざさない。
最上のセンスを持っているのに、それをひけらかすこともない。
根拠のない懐古趣味にも陥らない」
そうなんです。
私が好きなところ。
しかし、先生は何もしたくないとしていながらも、実に深く物を見ている。
残酷なまでにえぐり出す表現、美しい描写にハッとさせられる。
そこがたまらない。