沢村貞子の「私の浅草」
1908年、浅草生まれの筆者は、名脇役として知られた方だが、エッセイストでもあった。
以前「わたしの献立日記」を読んだが、この人の背景を知ることはなかった。
明治から大正、昭和の浅草の暮らしが描かれたこの本に、引き込まれた。
「べらぼうめ、そんなうすみっともないことが出来るかってんだ」が口癖のお父上。
色男の役者ゆえに、浮気でわがまま放題。
江戸っ子らしくサッパリしていて、どこか愛敬があって憎めなかったという。
今はない浅草の芝居小屋「宮戸座」
老いも若きも、純粋に芝居を楽しむ人々の様子が生き生きと立ちのぼる。
なかでも、「浅草娘」の章にスカッとする思い。
外で男達にからかわれー。
そのときー私は顔をまっすぐあげて、ツカツカと男たちの前へすすんだ。
笑い声が、ハタと止まった。いきなり目の前に立ちふさがった小娘を見上げて、みんなポカンとしていた。
「いいかげんにおし。ここは天下の往来なのよ、娘がとおって何がわるいの。桜の花見て隅田川みて、何がおかしいのよ。誰を待っていようと大きなお世話よ、放っといとくれ。おべんとう食べるなら黙っておたべ。行儀の悪い。女の子からかって、おかずのたしにしようなんて、ケチな料見おこすもんじゃないわ」
私はただ夢中だった。しゃべりながら、腹立たしさにひざがふるえた。
17才の出来事。
やっぱり私は、単純で一本木な「浅草の娘」なんだという。
ほれぼれするような啖呵。
あー、気持ちいい。
2017年2月 2日木曜日 | chako